年表

111) 一年間のブランク(前編) [自伝本『私のこと』]

最終日まで 忙しい営業を全力疾走した私は、明日からのスケジュールを考えた。
 
何がしたい、という特別な事はなかったが
しいて言えば・・・と考え始めると どんどん出てくるものだ。
 
たわいもない事だが、土日で友達の家に泊まりに行ったり
誘われるがままに、日中の歌舞伎を観に行ったり
お客様のお誘いで、備前焼を体験したり
ゆっくり パリに旅行にも行った。
どれもこれも 今まで出来るようで出来なかった、計画性なしの行動だった。
 
中でも 一番やりたかった事は、私の原点である “母の仕事” を見る事だ。
しかも、16年ぶりに X'mas からお正月まで ずっと家族で暮らす事。
長岡という場所で生まれ育ち、反抗しながらも ずっと見てきた母の仕事。
これからの私のオリジナリティーを、本当の私の姿を思い出すためにも
原点に返る、いや “帰る” 必要があったのだ。
 
退社の際、専務に 「スタッフは引き抜かない」 と約束した時から
SHIMA の要素は できるだけ残さず、本当の私・・・小林純子という
ただ一人の美容師の考える 気持ちのいい美容室を作ろうと思っていた。
 
今まで、何を決めるにしても 必ず SHIMA の立場で選択してきたし
それが私にとっても良かったことだったが
これからは、一度 全部捨ててみる必要があったのだ。
 
捨てると言っても、沁み付いた感覚は そう簡単には取れるはずがない。
だから、一年間は 美容をしない ! と決めた。
待っていてくださったお客様には申し訳なかったのだが
オープンした際は、 SHIMA に問い合わせていただくことにして
なるべく ニュートラルな自分になれるように努めた。
 
母の仕事を 延々と見続けた私に、小さな答えが出てきた。
『なぜ 美容師になったか ? 』 に対する答えだった。
一番シンプルな問に対する答えだが、あまりに一生懸命走りすぎて
ちょっと忘れかけていたことだったかもしれない。
母の仕事ぶりは、仲の良いお客様と楽しそうに会話し 喜んでもらってるのだ。
まるで、家に遊びに来てくれたお友達のように・・・。
田舎にあるパーマ屋さんの一コマの光景だ。
 
≪私、これが結構好きかも・・・≫
 
雑誌に出て 毎日新しいお客様が来店し、繁盛するのも有り難いが
家族もろ共 仲良しで、永い時間を共に出来る 親戚のような美容室も
なかなか悪くないよねぇ〜・・・と感じていた。
 
≪やるなら、都会にあるシャレたパーマ屋さんだ ! ≫
 
イメージがどんどん出てくる・・・。
私に 何が出来て、何がしたいか、どんどん分かってきた。
 
後は、それを具体化するだけである。
 
さらに、ブランクだった この一年間は、私に大きな人生の転機を与えたのであった。
 
 
 

2010年01月06日(水)

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