年表

138) 社員旅行 [自伝本『私のこと』]

サロンがオープンしてから 必ず年一回 社員旅行に出かけていた。
 
国内ばかりであったが、この年から海外に出かけることにした。
赤ちゃん連れであったため、気候の暖かいリゾート地ハワイに決めた。
 
実は、第一子妊娠7ヶ月でハワイに行っていた。
大きなお腹でビキニを着るのも なかなかおもしろかった。
ハワイの、特にアメリカ人は 赤ちゃんや老人にとても優しく
どこにいても 「大丈夫か ? 今何ヶ月か ? 」 と話しかけてくる。
両親と出掛けて以来、約10年ぶりの HAWAII であった。
 
今度は、1才3ヶ月の赤ちゃん連れの社員旅行になった。
もう離乳食も完了し、普通にご飯を食べていたので
特別な用意といったら、オムツくらいなものだった。
 
それまでも 国内旅行に出掛けたが、ミルクの準備は大変なのだ。
ミルクの粉以外に、哺乳瓶・洗浄液・消毒液・それらを入れる大きなケース。
一番 気を使うのは、お湯である。
必ず沸騰させたお湯を適温に冷まし与えるので、日頃からお湯の管理は重要だ。
国内旅行なら まだ理解してもらえるのだが、海外では もともと “水” が怪しい。
2人目、3人目を社員旅行に連れて行った時は、まだミルクを飲んでいたので
「Please give the boiling hot water for baby's milk to me. 」
と、かなり丁寧にお願いしたにもかかわらず
沸騰したお湯かどうか、かなり怪しいものだったのだ。
 
この時のハワイの社員旅行では、そんな心配もなく楽しむことが出来た。
日頃 子育てに協力的だったスタッフも、私達以上に子供と遊んでくれ
私は つかの間の休息をとれたほどであった。
 
一番印象に残ったことは、初めてのビーチでの事。
それまで、日本の海でさえ まだ行っていなかった長男をビーチに連れて行くと
サンダルから砂が入り、足の指が気持ち悪いと訴え ヒャーヒャー言っていた。
終いには、スタッフから足を砂に埋められ
砂で大きな “怪獣の足” を作られてしまい、観念していた。
 
大人たちはというと、主人と私以外は初めての体験だった ゴルフを楽しんだり
初めてのスカイダイビングにも挑戦した(主人は2度目だった)。
 
ゴルフでは、ボールではなく ヘッドが飛ぶという珍事件が起きたり
なかなかパットが沈まず、☆を描いては ヘトヘトになっていた。(笑)
 
そして、なんといっても スカイダイビング !
これだけは やったことのある人にしか わからない感覚だ !
私が代表でビデオを撮ってもらうことにした。
オプションなので、追加料金が掛かるのだ。
記念に誰かを撮っておきたかったので、私が立候補したのだが
これが かえってアダになってしまった。
あらかじめ 飛ぶ順番を私の独断で決めておいたのだが
本番、名前が呼ばれて一人ずつ(実際にはインストラクターとくっついて) セスナに乗り込んでいくと
なぜか私が最後で、セスナの開けっぱなしの扉近くに座らせられた。
イヤ〜な予感がして、ついビデオを持つアメリカ人スタッフを心配そうに見ると
親指を立てて 「Good Luck ! 」 と笑顔をみせた。
そこで ようやく、ビデオをオーダーした人がビデオマンと共に最初に飛ぶということを理解した。
 
≪うわ〜・・・最悪・・・≫
 
考え覚悟している間に、扉の無いセスナは どんどん上昇していく。
上空14,000フィート(4,267メートル)では、ほとんど雲の上で
飛び降りる瞬間は、目の前真っ白 まさに無である。
フリーフォールは約1分間、ジェットコースターとは比べものにならないほどの風圧で
叫びたいのに、開いた口が カラカラになって 閉じなくなってしまう程だった。
余裕がでてくると、雲の間を抜けて落ちる様子や
地球は丸い・・・と実感できる景色が見ることが出来る。
パラシュートが開く時の衝撃は、思ったより強く
そして、パラシュート酔いにも注意が必要だ。
インストラクターに、機嫌良く 「ジェットコースター大好き ! 」
などと言おうものなら、完全に餌食になってしまう。
私もその一人になってしまったのだが
パラシュートを操作し、何度も急上昇・急降下を繰り返され
死ぬ思いで やっと地上に生還したのだ。
最初に飛んだ私が、かなりの時間差で最後に帰還したわけだ。
そう言えば、私達より先に飛んだグループの人々が戻ってきた時
予想よりもテンションが低かったことを思い出した時には
後の祭り・・・ということだ。
 
様々なイベントを盛り込み、思い出いっぱいの楽しい社員旅行となった。
その後も 南の島をメインに年一回の社員旅行を続けることになるのであった。
 
 
 



2010年04月09日(金)

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