年表

16) ウサギちゃん(?!) [自伝本『私のこと』]

食事に貪欲になった もう一つの話がある。
 
我が家の食卓には、一般家庭には出ない食材があった。
それは、ウサギ・カモ などだ。
 
実は、父は 狩猟をしていた。
もともとは 祖父が、軍隊で射撃の名手だったことで
父も、父の兄も、付き合わされていたようだった。
 
私が生まれる前の 昭和37年に、父の兄は自動車免許を取得。
30才を過ぎていたから、車を買いたかったのに
祖父の一言は、「車はダメだ。 鉄砲ならいい!」 と
わけのわからない理屈で、その世界へ突入させられた。
当然 父も同じ結果だった。
 
彼らは、国家試験である “銃砲刀剣類所持許可証” を所持し
実物は、家族にさえも見えぬ場所に きちんと管理する義務があった。
よく TVドラマなどで、リビングに 堂々と置かれたガラスケースに
優雅な姿で並んでいる銃を 目にすることがあるが
父に言わせると
「有り得ない・・・ましてや その銃による殺人事件?・・・有り得ない !! 」
ということになる。
 
そんな話より、我が家の食卓の話にもどるが
私が小学校低学年の冬のある日・・・
父が 白ウサギを捕ってきた。
多い日は 10羽位の時もあった。
子供にとって 白いウサギ という存在は
キャラクターにもなるくらい かわいい姿をイメージするだろうが
私の父は、残酷にも 血まみれな・・・
しかも 両耳を持って 誇らしげに帰ってきたのだ。
 
鴨においては、私達に羽根むしりをさせ
まだ うぶ毛のついたカラダを コンロの火であぶるのだ。 その臭いは すごかった。
 
ただ これらは本当に美味しかった。
鴨鍋は 料亭並み! (しかも天然もの!)
食べていると、口の中に 散弾銃の2?位の鉛のタマを発見する時がある。
子供にとっては、これも楽しさに変わっていたから 慣れは怖い・・・。
ウサギの肉は 串カツや鍋にも登場した。
兄は この串カツが大好物だったようで、この話を持ち出したら
「うまかったなぁ〜」 の一言が かえってきた。
 
この他にも キジ・ウソ などの鳥達も捕ってきた。
これらを捕るには、市や県から 決められた時期・場所でなければいけない。
ほとんど 11月15日〜2月15日までの間で
雪深い新潟(長岡)では、足跡をたよりに探すのだ。
それ以外の時期には、クレー射撃で楽しむらしい。
 
まぁ、動物愛護団体には 話せない内容ではあるが
今も昔も 何らかの形で共存をしているには違いない。
 
ウサギちゃんは さておき
今でも 鴨料理において、父の味を超えるものはない。
私達は 幸せな体験をしたのかもしれない。
 
(普通で良かったんだけど・・・苦笑)
 
 
 


2009年01月14日(水)

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