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31) 体験入部 [自伝本『私のこと』]

とにかく体力のなかった私は (今では考えられないが・・・)
中学入学の時、 “部活動” という難問に どう対処すればいいか わからなかった。
 
母に相談すると
「体を強くするために、体操部なんかいいんじゃない?」
と 気軽に言われ、その気軽な雰囲気に甘んじてか
私も体操部に体験入部してみる気分になった。
 
ところが、彼女が想像していた体操部というのは
マット運動や縄跳びなど 基本的な “運動” と思っていたので
私は体験入部で ??? になった。
 
なぜなら レオタード姿の美しい先輩達・・・。
 
“器械体操” だった!
 
しかし、私には そのセンスがあったようだった。
入部合格には <くぼじぃ> の一言が必須だった。
 
<くぼじぃ> とは、私にとって記憶に残る 素晴しい恩師の一人で
若かりし頃、某 有名オリンピック選手を育てた と言われていた。
この中学で 教師をした後、定年退職により
この体操部の特別顧問をしていたのだ。
 
もう中学を卒業していた兄も
「うぇ゛ーっ  くぼじぃかぁーー!? ・・・」
という言葉が出るくらい、生徒に(特に男子生徒に)
厳しい先生だったようだ。
 
入部テストのようなものは
低い平均台の上を 両手を広げて ただ歩くだけのもの。
思いがけず 私は楽しんでいた。
何が合格基準なのかさえ 知らなかった私だったが
結構 ウキウキで歩いたことを覚えている。
体力・持久力のテストでなかったことだけが幸いだった。
 
その頃、公立中学校の体操部というのは 2種類あって
いわゆる 器械体操というものの 中学レベルの競技で
跳び箱(高校からは跳馬)・鉄棒(高校からは段違い平行棒)・平均台・床運動
という種目を行うものと
新体操といって、音楽に合わせて
ボール・縄・輪・リボン・棍棒(こんぼう)
を使って、それぞれに演技する 競技に分けられていた。
 
どちらも 技(わざ)や美しさで競うものだが
どちらを選択するか・・・というより
すべては くぼじぃの一言で決まったようだった。
 
今では、この中学校の体操部は廃部になっているらしい。
たぶん コーチ不足からだろう・・・。
公立中の先生の中で 経験がある方は まず いないと思うし
外部からコーチを頼むなど、考えにくい環境だ。
 
当時、私の体操部は くぼじぃのお蔭で有名だった。
先輩方もすばらしい選手だった。
 
私は みごと(?) 器械体操へ入部が決まった。
 
こうして 身体の弱さと 先輩の怖さと くぼじぃ に対する挑戦が始まったのである。 
 
 
 

2009年03月06日(金)

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