年表

49) 進路 [自伝本『私のこと』]

高校2年ともなると、そろそろ進路を決めていかなければならない。
 
友達と遊び、部活動に汗し、好きな男の子も出来て
のんびりとした高校生だった私だが
まわりの人の 「美容師になるんでしょう?」
「お母さんのお店を継ぐんでしょう?」
の言葉には 敏感に拒絶した。
 
まぁ 反抗期とも言うような根拠のない拒絶だったため
根拠のない選択をしてしまった。
 
≪器械体操で生きていくためには・・・ 日体大かな? ≫
 
でも、調べれば調べる程 私のレベルの低さに気付き
これが 私のやりたかった人生だろうか、と考えた。
 
本当の私は、実は 気付いていた。
 
ただ 何となく、過去に植え付けられたイメージだけのために
反発してみたかったのだ。
 
最後の反発だった。

3年生の選択教科に、数?B・化学?・物理? と
わけもわからず 得意だった理数系を選んでみた。
担任の先生からも、自殺行為だと止められたが
私は 「やります!」 と決めてしまった。
 
通常、大学受験のために 目的を持ち 授業を受けているまわりの生徒に対し
私は、反発だけの理由で 一年間受けていた授業・・・。
 
もちろん 苦しかった。 赤点も取った。 でも
自分で決めた最後の反発だった、途中で投げ出すわけにはいかなかった。
 
部活と同じだった。
今は苦しいけど、後に必ず 「でも 続けたから・・・」 と
笑って言える日が 絶対来る! と信じていた私だった。 
 
たぶん 将来の職業にあまり意味のない こんな事でさえ
“小林 純子” という人間をつくってきた “栄養” だと思っている。
 
途中でくじけなかった、という事については 花丸二重丸◎ を
当時の私にあげたいと思う。
 
そして、この最後の反発をしっかりやったことで
次の道は開かれたのだった。
 
≪せんせー ありがとー・・・≫
 
 
 
 

 

2009年05月12日(火)

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