年表

57) 山田先生 [自伝本『私のこと』]

高校2〜3年の2年間 担任だった山田先生とは、今でも メル友だ。
 
卒業後は、同級生の結婚式で会う程度だったが
私が 独立、結婚、出産・・・と 慌ただしかった頃から
実家へ帰ると 友人や先生と連絡を取り合うようになった。
 
特に 私の場合、高齢出産だったため
彼は、珍しがって わざわざ実家まで来てくれた。
 
2001年〜2004年までの4年間に 3人の子供を産んだのだが
その度に、生まれた子供の写真を撮りに来てくれたのだ。
 
それ以来、何かとメールが届く。
マメな先生で、私の誕生日や X'mas 、お正月 と
メロディメール ♪ などの 可愛らしいメールが届く。
そして 彼は、定年退職・・・。
マメなのか、ヒマなのか、わからないが (あっ 失礼・・・)
うれしくないはずがない。
 
彼は 物理の先生で、ずいぶん私も苦しめられたが
忘れられないことがある。
 
3年生 最後の物理のテストだった
 
実は、先輩たちから聞いていた秘話があったのだが
答えを 四角の中から 選択して うめていく方法で
最後に 答えを読んでいくと、必ず文章になるから・・・と言うのだ。
 
半信半疑だったが、実際の私達の最後のテストの答えは
『 サ ン ネ ン カ ン ア リ ガ ト ウ ゴ ザ イ マ シ タ 』 と なったのだ。
 
たぶん 全員10分くらいで終わっていたが
一文字くらい フェイントがあっても良さそうなものだと
何度も 問題と答えを確認したのを覚えている。
問題を考える方も さぞかし 大変だったであろう・・・(笑)
 
まさに ユーモアを持ち合わせた 人気のある先生だった。
悪ぶっていたクラスメイトも、この先生のお蔭で卒業できたのかもしれない。
 
彼も、私の恩師と呼べる一人である。
 
 
 

2009年06月09日(火)

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