年表

63) ディスコ [自伝本『私のこと』]

当時の夜遊びというと
“クラブ” ではなく、“ディスコ” 全盛期だった。
 
ファッションの社交場 Best 1 は、新宿にある 『ツバキハウス』 だった。
 
テクノやロック、ニューウェーブといったジャンルで
バリバリ とんがっていた人種が集まっていた。
服飾系、美容系、音楽系 の学生・・・
そして、その延長線上のカッコイイ大人たち。
 
なかでも、必ず 毎週 通っていたのは 『火曜名物 ロンドンナイト』 。
音楽評論家、大貫憲章氏の DJ による
パンク&ニューウェーブ の選曲は、かなりの盛り上がりだった。
 
正規の入場料がいくらだったか もう忘れてしまったが
割引券やタダ券が出回っていて
学生だった私も 毎週 通えたのだ。
そして、ドリンク券や食事券もあり、夕食も まかなえられた。
 
クラスメイトは、埼玉県在住者が多く
当然、終電には乗れず (私も もちろんのこと)
毎週、私のアパートのある中野まで
1時間以上かけて 歩いて帰ることになるのだ。
6畳一間の狭いアパートに、7〜8人が泊まった日もある。
 
そんな若かりし頃の遊びだが
ファッション、音楽、そして 時代の流れを知る
重要な生命線だった。
 
熱気に包まれた中
まさに 感覚の呼吸をしていた と言ってもいいだろう。
 
若い頃に必要な事は、知識ではなく 感じること。
そこに居なければ 知り得ない 空気。 
 
お金を払ってでも 体験すべきである。
 
 
 

2009年06月30日(火)

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