年表

101) 断髪式(?!) [自伝本『私のこと』]

SHIMA 青山店に入社し 8年後、南青山店がオープン。
オープニングスタッフとして 私は移動した。
さらに 約1年後、代官山店がオープン。
再度 オープニングスタッフとして 移動。
この時、ディレクターという役職を頂いた。
 
営業も さることながら、スタッフ育成や ショーや講習などの出張に 大忙しであった。
 
私のトレードマークであるビッグシルエットのカーリーヘアーも、もう4年になる。
これに飽きていたわけではなかったが
どうしても やりたいヘアースタイルのイメージが浮かんでしまったのだ。
以前から、この強烈なイメージのヘアースタイルを変えるとすれば
かなりのインパクトである “あれ” しかない、と思っていた。
 
“あれ” とは、ボウズ のことである。
 
スキンヘッドというと、お坊さんのような丸坊主頭だが
髪の毛を0mm〜2mm間で、綺麗にグラデーションをつけていく
刈り上げによる “ファッションボウズ ” のイメージである。
 
イメージが固まった私は、ダイエット計画を立てた。
私が持つ ファッションボウズのイメージは、中性的な細身の大人な女性。
生まれて初めて 真剣な体形作りが始まった。
 
余計な筋肉をつけずに 脂肪を落とす方法として、ジョギングを選んだ。
脂肪は、有酸素運動をはじめてから 40分経過しないと 燃焼されないと聞く。
さらに、あまり速いスピードで毎日走り続けると 筋肉がついてしまう。
そこで、週に2〜3回、90分間、前を歩く人を追い越せないくらいのスピードで
約2ヶ月続けた。
 
ジョギングというと、なかなか続けられない人も多いと思うが
私も そのタイプだったため、一つのアイディアを取り入れた。
それは、ジャージの内側にワンピース型の水着を着て 走ることだ。
エクササイズなどのインストラクターがよく着ているストレッチウェアの代わりだが
初日から、なんだかお腹まわりが引き締まった感覚になり
続けられそうな錯覚に陥るのだ。
 
食事制限は、ほとんどしなかったが
走れるのは 仕事の後の夜だったため、夜の食事は少なく済ませた。
朝夜のストレッチも欠かさなかった。
約2ヶ月で 7kg程落としたが、無理なダイエットとは違い
変なストレスもなく、エネルギーやパワーは それまでと何ら変わらなかった。
 
自分が痩せていくのがわかったのは、ジーンズなどのサイズが変わったこともあるが
一番驚いたのは、トイレで座った時 便座から おしりが抜け落ちそうに感じたことだ。
自分の体を客観的にみるために、わざわざ銭湯へ行き
まわりの人と比べたり、理想はどれくらいか 考えたりもした。
 
今まで 着てみたいけど・・・、と思っていた服にもチャレンジしてみる。
洋服のイメージも整い、自分の改造計画は 順調だった。
 
あとは いつ髪を切るか だ。
 
丁度 東京での大きなヘアーショーを控えていたため、直前に切ることにした。
断髪式の当日、たびたびお世話になっていた 某 業界誌のカメラマンの I さんが
わざわざ プライベートで、断髪ぶりを撮りに来てくれたのだ。
とてもカッコよく撮ってくれた。 いい記念になった。
カットしてくれたのは、後輩たち・・・。
途中、何人も この断髪式に参加してくれたからだ。
 
私が ダイエットしていたことを知らなかったスタッフは
カット後、私の全身のイメージチェンジに驚いていた。
大きなライオンの鬣(たてがみ)を脱ぎ捨て、余計な脂肪をはぎ取った私は
いろんなものが ポジティブに見えたのだった。
 
ただ・・・。
実は、ファッション的にイメージチェンジしたかっただけではなかったのだった。
心のどこかに モヤモヤした何かがあって、たぶん ふっ切りたかったのだろう。
 
それが 何か・・・ は、その時 はっきりとは気付いていなかったのである。
 
 
 


2009年11月24日(火)

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