年表

140) 長女と私 [自伝本『私のこと』]

何事も初めてで 喜怒哀楽の激しい中、育てた長男に比べ
長女を一言で表現すると、“淡々としている・・・” が ぴったりな子であった。
 
生まれた時も、3人の中で この子だけはパパの立ち会いが間に合わず
私と二人、すんなりと出産をこなしていた。
生まれた瞬間の顔は、お世辞にも可愛いと言えず
すぐに乳児性湿疹が顔中に出て、右目がつぶれた状態になり
まるで、ガッツ石松さんの試合の後のような(あっ、失礼)
それはそれは 見事なブサイクぶりであった。
 
赤ちゃんを見て、大概は 「可愛い女の子ね〜」 と言うのが普通だが
いつまで経っても、「元気そうな子ね〜・・・」 だった。
 
だが、女の子はブサイクで産んでおくほうがいい。
 
底辺で生まれたら、それ以上落ちることはない。
日に日に右上がりに可愛くなるだけだ。
産んだ親が 自分から、 「うちの子 可愛いでしょう」 などと言う親はいない。
他人にそう言われても、謙遜(けんそん)すべきであるが
この子は違う・・・。
自ら 「可愛くなったのよ〜 ♪ 」 と言ってしまう程であった。
 
夜泣きはおろか、日中もあまり泣く事がなく
まさに、淡々としている子であった。
長男が夜泣きしている間も、≪私は関係ないわ ! ≫ という感じで爆睡していたし
朝方、泣いて起こされるなどということは、ほとんど無かった。
手足を動かす かすかな音に目が覚めた私は、彼女の顔を覗き込むと
≪あっ、気付いてくれたの〜 ❤ ≫ と言わんばかりの満面の笑みで、私を迎えてくれるのだ。
まるで、親子が逆転したかのような状況で
疲れていた私をどれほど癒してくれたことか・・・。
なんだか女同志、協力し合いながら生活しているかのようである。
 
生まれたばかりの頃でさえ そうだったので、その後も彼女は私の支えになってくれた。
 
丁度12ヶ月で、第三子が生まれた時も
ハイハイやつかまり立ちで、二男のオムツ交換を手伝ってくれ
汚れたオムツを捨てる役目をかってでてくれた。
しかも、まだわからなくて当然だが、私が調子に乗って
「燃えるゴミのほうのゴミ箱だよ〜」 と同じ物が3つ並んである方に向かって言うと
チラッと覗いてから、考えて、しっかり燃えるゴミ箱へ投入していた(笑)。
 
そんな長女の想い出 NO.1 は
一番母親を後追いする 抱っこして欲しい時期の10ヶ月頃
第三子妊娠8ヶ月の大きなお腹だったため、ベビーシッターさんによく抱っこされていた。
「ごめんね〜、この子が生まれたら いっぱい抱っこしてあげるからね ! 」 と言っていたのに
生まれたら生まれたで、授乳のため 抱っこポジションは二男が占領。
「ママ〜・・・」 と私に近づくなり、二男のポジションだとわかると
何事も無かったように クルッと向きを変え、違う遊びを探すのだ。
私はこの光景で何度も泣いた。
授乳を終えると真っ先に長女を抱っこしてあげた。
今でも 私から抱っこしてあげると、照れるように喜んでくれる。
 
私は思った。
 
女は強い。 そして甘え下手である。
 
彼女は特別に、母親の気持ちがわかるようである。
 
私を癒してくれた女神のような心の大きい彼女の未来を
ただただ応援し、幸多かれと願うのである。
 
 
 

2010年04月16日(金)

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