年表

59) 美容学校 [自伝本『私のこと』]

当時の美容学校は、入学希望を出せば ほぼ合格出来るような時代で
取り立てて 入試のような難しいテストは無かったように記憶している。
 
たくさんある学校の中で一つを選ぶのだ。
 
私が選んだ基準は一つ。 学校内の空気だ。
 
美容学校といえば、ヤンキー卒 みたいな人達しかいないようなイメージもあった。
中には、校内は暗く、階段の隅でタバコを吸っている人がいる学校もあった。
 
一年間とはいえ、自分が夢のために通う大事な学校だ。
校内が きれいで明るい事。
箱がきちんとしていれば、中身(生徒)が少しばかりヤンキー卒でも
自分がしっかりしていれば 何とかなる。
とにかく 気持ちよく通えるかどうかだった。
 
叔父の家の近くの 中野富士見町にアパートを借りた私には
ちょっぴり遠かったが、決めた。
池袋にある学校だった。
 
池袋は、少し歩くと かなりガラの悪い場所もあり
ファッションタウンである原宿や渋谷の近くの学校を選んでおけば良かったかな?
と思う時もあったが、自分で決めた学校だ。
入学してみると、箱(学校)も良かったが 中身(生徒や先生)も
とても いい人達ばかりだった。
 
見かけは、ヤンキー系や 当時流行ったサーファー、ニュートラ、ハマトラ系が多かったが
私は 当時、DCブランドブーム目前の原宿や渋谷で 古着などを着ていた。
 
生徒たちのファッションは多種多様であったし
年齢も、10才くらい年上の人もいて
とっても複雑な感じの同級生だった。
 
楽しい(?)美容学校時代が始まった。
 
 
 

2009年06月16日(火)

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