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88) 母の病気 [自伝本『私のこと』]

雑誌の取材を受け、楽しさも これから !! という私に、一本の電話が鳴った。
 
父からの電話であった。 母が入院したと言う。
 
病名は 「腎盂炎(じんうえん)」。
 
細菌の感染が原因で起こる腎臓の病気で
抗生物質の投与などで、症状は改善され
大事には至らないケースがほとんどの病気らしい。
 
だが、この時の私は この病気の認識がなく
しかも、電話の向こうの父のパニックぶりは尋常ではなかった。
出産以外で母が入院など 今までになかったからだろう。
 
父は、私に 家に帰って来るように説得していた。
母が入院してしまい、大変な状況だから
今こそ 地元に戻り 美容室を継げ、ということだった。
 
二人は、母の病気の詳細も忘れ
ひたすら 私が今すぐ地元に帰るという内容を話し合っていた。
 
父の心配や要求も、理解出来なくはなかったが
私の未来の夢はどうなるのか ?
私は東京に向かう時、親の死に目にも会えないくらいの覚悟をしたはずだ。
ただ、今回は父が困っている・・・。
両親を救えない私って・・・。 と 一瞬だが、ものすごく悩んだ。
 
だが、数分後 答えは出たのだった。
 
「私は 帰らない。」
 
「母が 自分の決めた道で 自らお店を作り、やってきたこと
自分のせいで、お店を続けられなくなっても
それを私に託し、私をあてにされても 私は幸せではない。」
と、ナーバスな状態の父に はっきり言ってしまったのである。
 
今でも このことは後悔していない。
親不孝かもしれないが、また同じような事があっても、きっと言っていると思う。
 
そして 次の休みの日、早速 お見舞いに行き 安心した。
案外 元気そうな母、そして もうすぐ退院出来るという。
 
あんなにも パニックになった電話での会話は 何だったんだろう・・・。
 
お互い 元気な時は 納得している話でも、ハプニングが起こった時
やはり 両親の想いというのは、子供に試練を与えるもの・・・。
私に帰って来て欲しい という気持ちと
少なからずとも、あてにされているのだ という現実を考えていた。
 
ただ、後になって聞いた話だが
なんと、母が退院して一週間後
二人揃って 北海道旅行に出掛けた というのだ。
予定されていた日程を変更せず、しかも
退院後すぐ旅行というのは 聞こえが悪いから、と言って
退院の日を少し早めたぐらいだったらしい・・・。
 
私の悩みとは裏腹に、両親は一枚うわてだった。
 
父のパニックぶりも含めて、なんて お騒がせな両親である。
 
兄達 まわりの人々は、父と私の切なる会話は 知る由もない。
この件については、ノーリアクションだった。
 
私は といえば、
≪人生を棒に振らず よかったぁ〜≫ の一言であった。
 
 
 

2009年10月10日(土)

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