年表

89) Rh− part? [自伝本『私のこと』]

兄の血液型が Rh−AB 型とわかって、かれこれ 5年の月日が経った頃だった。
 
私は、何気なく 献血でもやってみようと 日赤病院へ行った。
後日、分厚い封筒が送られてきた。
 
以前、どこかで見たことのある気配・・・。
 
イヤ〜な予感がして、開封する前に 家に電話をかけてみた。
話ながら いよいよ開封・・・。
 
あ゛−−− 予感的中 !!
 
私の血液型は、Rh−B 型 と書いてある。
 
兄だけではない、私もマイナスだった。
 
その時の気分を一言で言うと、お決まりの言葉だが
間違いなく ≪ ガーーーン !! ≫ であった。
 
日常に支障がないことは理解していたが
いざ 自分がめずらしい血液型となると、不安は募るものだ。
 
当時は まだ インターネットなどで簡単に調べることも出来ず
医学部に通っているお客様に事情を説明し
これから関わる心配事を調べてもらった。
 
まず、兄妹が Rh− である以上、母親の血液型も Rh− である確率が高い。
すぐに両親の血液型も調べるべきだと言う。
早速 連絡し、両親は大学病院で検査をしてもらったが、二人とも Rh+ であった。
 
母親が Rh− なら まだしも
両親が Rh+ で、子供二人が Rh− である確率は 相当低い。
まさに 何か 突然変異と言わざるを得ない。
それに、第二子の私が 黄疸(おうだん)などの危険な症状もなく
無事 出産していたことの方が不思議であった。
しかも、私達兄妹は お互い 大人になるまで
Rh− などとは知らなかったことも恐ろしい・・・。
 
母への電話の際
「めずらしい血液型の子を二人も産んだなんて、私ってすごいよねー ♪ 」 と
また 自らを賛美している母は、ある意味 知らずに済んでよかったかもしれない。
 
現在、私のように Rh−B 型は 約1000人にひとり
兄のように Rh−AB 型は 約2000人にひとり の割合らしい。
ちなみに 日本国民の99%以上は、Rh+ である。
 
問題は、私のように Rh− の女性が妊娠した場合
夫婦親子の血液型の組み合わせによっては
「Rh式血液型不適合妊娠」 といわれている不適合が生じる事だ。
 
後に、私は このことで、兄以上の大変な不安を抱えることになるのであった。
 
 
 

2009年10月13日(火)

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