年表

128) 出産 [自伝本『私のこと』]

初産であったが、私はかなりの安産タイプである。
 
夜の10時半頃からの陣痛で、分娩時間 2時間半という異例の早さでの出産だった。
産まれたのは、日付を越えて 夜中の0時53分。
 
通常の初産の場合、24時間以内なら よくあるケースで
6〜12時間以内であれば 安産ということになる。
私のように さらに短時間であると、“超安産” に違いない。
 
病院へ向かう車の中で、実家の母に電話をかけていた。
母は、「苦しいけど頑張って ! 生まれたら連絡してね。」 と言ってくれたので
夜中ではあったが、心配で眠れないでいるかと思い
病室に戻ってきて すぐ電話をかけてみた。
 
「もしもし、私。 生まれたよ〜。」 と言うと
「・・・何が ? ・・・」 と寝ぼけている母。
 
さぞかし心配しているかと思いきや、
義姉と 翌朝くらいになるであろうと話していて
ぐっすりと寝入っていたとのこと。
安産経験者ですら 私の早さに驚いていたのだ。
 
ちなみに、2人目の時は
夕方の6時過ぎからの陣痛で、分娩時間 2時間という安産で
産まれた時間は、夜の8時16分。
やはり、産み終わった後の電話では 「記録をぬりかえたね〜」 と言われた。
 
3人目の時は、
お昼の12時頃からの陣痛で、分娩時間 1時間半で
時間は、お昼の1時40分。
なぜか、30分ずつ記録を更新している私であった。
 
あまりの早さに、「ひどい便秘症の人のうんちより、簡単に出したでしょう ! (笑) 」
などと言われた。
本当に そうだったかもしれない・・・。
 
さらに 驚いたことに、医師から 「子宮は20代ですよ ! 」と
ある意味、イヤミとも思われる言葉を頂いた。
実際の年齢は、1人目が37才・2人目が39才・3人目が40才 の時であった。 
 
産むタイミングで最も重要なのは 子宮口の開き方である。
39週までは しっかり閉じていて、
胎児の準備が整い子宮口に向かって下がってきた時に、柔らかいスポンジのように膨らみ、
胎児が出ようと試みている陣痛で 開ききっていく・・・。
このように、状況に応じてベストな状態に変化していく
女性独特な筋肉なのだ。
 
さらに、私は 産後の戻りが早く、産んだ直後の分娩台の上に居ながら
助産婦さんに、「もう、子宮が戻り始めているわ ! 」 と驚かれ
5日目の退院検査の時には、担当医師に 「ん ? ・・・1ヶ月検診でしたっけ ? 」
というくらいの驚異的な子宮の戻りであった。
子宮が収縮する際には、陣痛のような痛みを伴うが
私の場合は、この痛みも かなり少なく済んだ。
 
そして、一般的には 母乳をあげている間の半年から1年は
生理も 通常に戻れないのであるが
私は、母乳をあげていたにも関わらず
1人目で40日目、2人目では35日目、3人目では 1ヶ月検診の次の日
いわゆる31日目で、完全に通常に戻ったのである。
だからこそ、2人目と3人目の誕生日は
わずか12ヶ月と13日しか 離れていなかったのである。
 
このように、状況によってベストな変化を遂げた私の子宮は
医師の言葉によると、軽いジョークを含め 20代という若さに匹敵するらしい。
≪かなりの偏見、高齢出産へのイヤミ、若いからいいってもんでもないでしょ・・・。≫
と考えながらも、言われて悪い気はしない言葉だった。
 
総合的に考えると、私は “ベスト・オブ・安産” であったが
あの痛みやはずかしさ、40週という月日の体力・精神力まで考えると
女性がひと皮むけて、“オバタリアン化” していくのも 致し方ないことであろう。
男性には 到底出来ないことを成し遂げているのだから。
 
出産の痛みでさえ、喉元過ぎれば・・・で うまく忘れていくらしいが
私は、いい意味で 絶対に忘れまいと 心に誓ったのである。
 
 
 
 

2010年03月04日(木)

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